令和8年8月22日
お客様、ありがとうございます。
お盆も終わりました。お盆の間のテレビは、日本敗戦の時の話が多かったようです。
昭和天皇は敗戦直後、日光に疎開していた十一歳の上皇様〈平成天皇〉に手紙を送っている。
「我が国人があまりに皇国を信じすぎて英米を侮った」「わが軍人は精神に重きをおきすぎて科学を忘れた」。なぜ転げ落ちたのか。理由を息子(現上皇)にはっきり伝えようとする意志が映る。
上皇様にも戦争は原体験だったように思われる。
疎開から戻って目に飛び込んできたのは焦土の東京だった。数年後父の名代で半年にわたり歴訪した欧米では、荒廃した日本と比較にならない豊かさに衝撃を受けた。「多くの犠牲を思い、平和を希求し続けなければ」。平和への訴えは在位中、尽きることがなかった。〈中略〉祖父から父そして子へ。見る角度によってこの国の戦後とは、新憲法で象徴となった天皇家が三代をかけ平和への思いを深めた年月とも言える。人の領土の占領を誇示する。日本を軍国主義と言い募る。それでもこちらは冷静さを失うまい。昭和天皇は手紙で「大局を考えなかった」と。同じ愚を繰り返してはならない。
日経新聞八月十五日「春秋」より
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合掌
令和八年八月二十二日


