令和6年9月14日
お客様、ありがとうございます。
先週の続き。明治四十五年、初めて日本にお帰りになられた時、全国から講演を、の招待がありました。博士は「久しぶりに帰って、日本の皆さんからのご招待感激してます。しかし、長らく母親を一人でほっておき、寂しい目をさせております。せめて、日本にいる間だけでも母親の側を離れるのは一時もいやです。もし、母親も連れて行っても差し支えなければ参りましょう」。どの学会でも「結構です。是非ご一緒においで下さい」ということで、磐梯山の麓で百姓をしているお母さんの手を引いて、東京、名古屋、京都、大阪、と講演に回られました。講演の僅かの時間を割いて箕面の講演で紅葉を見ながら、茶店でお昼を召し上がられたとき、博士が「お母さん、お母さん、お母さん、お母さん」と言うて、もう背中まで撫で回し、箸をとって食べさすような本当の幼児のような純情でお母さんの世話をなさる姿がこの茶店の女将さんの目に焼き付いていたのです。「五十年たってもその姿が目から消えぬ。私が死んでもあの博士さんのお姿が消えんように、銅像を建ててもらいたい」とへそくり何十万円かを出し、学校の子ども達や地域の人々の拠金で、立派な銅像ができたのです。
本日のご来店心よりお待ち致しております。
合掌
令和六年九月十四日