令和2年8月9日

京都駅で拾ったタクシー運転手さんが語ってくれました。「私は高校三年の三学期に、両親を事故でなくしました。私の下に五歳の妹がおりました。家主に追い出され、五歳の妹を連れ、安い六畳一部屋を借りました。両親に代わって妹を育てなきゃならないと思って、わたしは夢中になって働きました。朝が新聞配達、昼は勤め、夜はアルバイトと無茶苦茶働いて、二三歳のときに安いアパートを買うほどの金をつくりました。その五年間、わたしは洗濯も炊事も掃除も何もしませんでした。五歳の妹がしたことになります。家事一切五歳の時からしてきた妹は、今大きな家にご縁を頂き、相手のご両親からも可愛がられています。私なんか両親がいたら、お金があったら、ろくな人間になっていなかったと思います。妹がいなかったら寂しくてグレていたでしょう。今の私があるのは両親が死んでくれたお陰、金を残してくれなかったお陰、幼い妹をつけてくれたお陰と思い、毎日両親の位牌に感謝の線香をあげています。唯一つ、妹が良い御縁を頂いて花嫁衣装をつけた時は両親に見せたかったと泣けました」。

 不幸でさえも、全部「幸い」と受け止め、闇から光へ、人生を変えるのも自分次第です

青山俊董師の講話

本日のご来店心よりお待ち致しております。

合掌

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